ここではバッカス=マモル(オーナー)が体験したギリシャ旅行を紹介しています。

  -初日-

 雲の上を飛行機が行きます。地球の自転の
方向にほぼ同じ速度ですすむため、ずっとこ
の夕焼けを見ることができました。(これはシ
ベリア上空)ロンドンまで13時間半、4時間の
待ち合わせでアテネまで4時間という超大回
りでハードでした。結局日本とギリシャの時差
は7時間なのです。
 ギリシャは1年のうち300日が晴れといわ
れ、雨季は冬になります。私たちが訪れたの
が12月ということもあってちょっと天気が心配
でした。
 陽気なギリシャ人、深夜だというのにこの明
るさ!?歓迎してくれています。ちなみにこの人
はアテネ空港の職員です。
 まだ真っ暗だというのにもう皆さん出勤です。
ギリシャの朝は早いのです。えーと今、おい
おいまだ5時だよ。
 この時間にテレビをつけてみると、どっかの
国みたいに「あさ天」などというのんきな番組
はやっていません。朝から討論番組ですよ。
いや〜デモクラシーの祖国は違いますね。な
っとくなっとく。でも今日の天気、気になるな。

 

−1日目−

 ギリシャ国立考古学博物館です。この日の
早朝にアテネ空港に到着した私達は、転寝も
早々にしていそいそとアテネの街に出ました。
半日の自由時間でも無駄にできないのです。
目的の博物館まで少々道に迷ったものの、無
表情の警官に助けられてようやくたどり着いた
というアリサマです。しかし、このちょっとした
散歩が、ツアーの一同に賞賛の目で見られる
ことに…。
 中は大変広くただ圧倒されるばかり、この博
物館にはギリシャ本土の貴重な出土品が集
められているのです。
 ギリシャの象徴は、なんと言ってもパルテノン
神殿です。大理石が奏でるこの直線と曲線の
ハーモニーは言葉に表せない美しさがありま
す。そしてこの丘からの眺めは最高、アテネ市
街がすべて見渡せます。しかしそのために、ト
ルコとの戦争では軍事拠点として攻撃されると
いう、歴史的な悲劇もありました。
 今では政府による手厚い修復作業でその美
観が保たれています。
 アテネ競技場は、1896年の第1回近代オリ
ンピックの競技場として有名で、その歴史は
紀元前331年にさかのぼります。写真の右下
の石碑に、近代オリンピックの開催地が刻ま
れています。2004年のアテネオリンピックが
楽しみですね。

 

−2日目−

 2日目、我々一行は、このツアーの楽しみ
のひとつであるエーゲ海クルーズに出かけま
した。青い海に白壁の建物を期待した私達で
したが、あいにくの雨にたたられ残念無念。3
島を巡るはずが、ポロス島へは行けずじまい
でした。写真はエギナ島にある東ローマ帝国
時代の教会です。ギリシャ人のほとんどはギ
リシャ正教を信仰しています。教会内には、
東西ローマ帝国をあらわす二頭の鷲が象徴と
してありました。
 またこの島は、ピスタチオナッツも有名で、
収穫の終わったオリーブ畑とナッツ畑が続く
道を、バスで走っていきました。
 次に寄港した島はイドラ島です。この島は、か
つてソフィア=ローレン主演の映画、「島の女」
の舞台になったところで、「イドラブルー」といわ
れる美しい青が目に焼きつく島です。また、この
島に渡った芸術家も多く、アクセサリーなどの
工芸品を作っています。私もお土産を買いまし
た。 ところでギリシャの貨幣はドラクマといい、
日本円の半分の価値です。つまり゛お買い得゛
というわけです。ただし、ディスカウントをお忘れ
なく。話を戻すと、この島の建物は数百年たっ
ているものもあり、政府によってその修復とペン
キ塗りが義務付けられています。古い街並みも
いいですよね。
 フェリーの中では常に船酔いとの格闘です。
エーゲ海ならぬ゛ゲーゲ海゛になっては大変、
と思いきや、我々の目を楽しませてくれはの
は、民族衣装に包まれた踊り子さんたちで
す。笑顔が絶えない踊りにパフォーマンス、拍
手喝采です。「オ―パ」=「よいしょ」ギリシャ
語の掛け声もマスターしました。
 冬のエーゲ海の恐ろしさを知ったクルーズで
もありましたが、満足でした。明日はどんなギ
リシャが私達を迎えてくれるのでしょうか。楽
しみです。

 

−3日目−

 この日、早朝出発した我々一行は、ペロポネ
ソス半島へ向かいました。途中の海岸線の美
しさは、朝のすがすがしさを演出してくれます。
 よく見ると、建設と中の家が並んでるのです
が、それはアテネっ子の別荘で、彼らはお金が
出来次第のんびり自分達で作るそうで、時には
完成に10年以上かかることもあるとか。日本で
は考えられませんよね。
 さて、写真はギリシャ本土とペロポネソス半島
を隔てるコリントス運河です。今から100年前に
完成ましまた。地中海を我が物顔で航行するタ
ンカーも、ここを通過する時は小さなはしけに頼
らざるをえません。上から見ていると吸いこまれ
そうです。手を振っているぞー。
 ギリシャに数多く残る野外劇場の中でも傑作
中の傑作といわれるエピダウロスの円形劇場
は、紀元前4世紀に建造されました。14,000人
の収容を誇る観客席は勿論総大理石で、座り
やすいように工夫が凝らされています。(神宮
球場の外野席より断然イイ!)
 音響効果もすばらしく、写真は舞台中央の石
版にコインを落としているところで、なんと、観客
席最上段にいた私の耳にもしっかりと聞く事が
出来ました。
 今でも夏には古代劇やコンサートが開かれ、
最近では第1回のシアターオリンピックが開催
されたことでも知られています。
 一面オリーブとオレンジの木が並ぶ肥沃な平
原をひた走り、バスはミケーネに到着します。
 紀元前2000年ごろから栄えたこの地は、トロ
ヤ遺跡同様シュリーマンによって発掘されまし
た。獅子門をくぐって城塞跡からぐるっと見渡す
と、ここを治めた者の気持ちがわかるような気が
します。とにかくすばらしい、そう、あのトロヤ戦
争で名を馳せたアガメムノンは、ここから遠いト
ロヤを眺めたのでしょうか。

 

−4日目−

 夜到着した我々一行は、デルフィでも名のあ
るホテルに一泊しました。その夜は偶然にもセ
ント=ニコラウスのお祭りで、サンタさんのカッコ
をした人が街中を練り歩いていました。地元の
人達がラウンジでお酒を飲んでいる横で、私は
その雰囲気を味わったのです。
 朝起きてバルコニーから外を見ると美しい渓
谷を昨夜遅くに降った雨が茶色く色を変えて流
れていました。
 デルフィは今回最も行ってみたかった遺跡
で、左は神託で有名なアポロン神殿です。
 右の大理石で出来た建物はなんだと思いま
すか?これは古代のシャワーなんです。屋根の
部分に水を流すと天井から出てくるのですが、
これは競技場にあるのです。古代ギリシャでオ
リンピックが始まったのはご存知だと思います
が、当時はウェアーは身に着けず、からだ中に
オリーブオイルを塗りたくって競技をしたんだそ
うです。そのためシャワーでオイルを落とす必要
があったのですね。
 アポロン神殿からしばらく歩いたところにアテ
ナの神殿があります。今はこの3本の円柱しか
残っておらず、この神域がなんのためにあった
のかわかっていません。ただ、デルフィの玄関
口であったと考えられていて、私は、お告げを
受けに来た者たちがいけにえをささげたところ
では、と思っています。何せ当時は、ここデルフ
ィが世界の中心だと考えられていて、アポロン
神殿に訪れる人はあとをたたなかったとか。日
本で言えば「熊野詣で」といったところでしょう
か。

 

−5日目−

 バスで随分北まで来ました。やはりここも北
半球、あたりの木々が紅葉していました。到着
してすぐメテオラの修道院を見に行きました。メ
テオラとはそもそもギリシャ語で「空中に浮遊す
る」という意味で、今から600年以上も前にこ
の岩礁の上に修道院が作られたのです。今は
石段を利用して食料を搬入していますが、かつ
てはつるべを使っていたそうです。
 全盛期には24あった修道院も今活動してい
るのは6つ、先年世界遺産に指定され、観光客
も多く訪れるようになりましたが、服装には制限
があり、ミニは進入禁止です。この厳かさがい
いですねー。
 ギリシャ最大のスキーの街、カランバカに一
泊して、再度メテオラに登りました。
 修道院の中を歩いて行くとしゃれこうべが山
のようになっていて、これは尋常でないなと感じ
させます。その後ろを真っ白なひげを蓄えた修
道院の大司教らしき方が歩いている。ひぇ〜。
 院内はギリシャ正教の壁画がむかしのまま
残っており、宗教用具や生活用品が一部展示
されていました。
 メテオラをあとにして再び三度バスへ、あんな
に晴れていたのにアテネに近づくにしたがって
雨が強くなりました。アテネの交通事情はお世
辞にもいいとは言えず、交差点では赤で突っ込
んでくる車が大渋滞の元凶になっていました。
 すると我がバスドライバーは、ダッシュボード
からおもむろに笛を取り出すと、窓越しに「ピ
ー、ピー」やりだした。「おいおい何やってんだ」
とみんな仰天!ところがその笛の音をポリスと
勘違いした違反車は、きれいにかたづいた。
「へ!へ!へ!」と言い残すとバスドライバーは
颯爽と交差点を抜けていったのだ。日本人には
ない知恵を見たような感じでした。
 街はクリスマスのイルミネーションでとてもき
れいでした。

 

−6日目前編−

 昨夜来の雨がようやくやみ、クレタ島ヘのフラ
イトがどうやら叶いそう。なんたって今回の旅の
一番の目的は、クレタ島のクノッソス宮殿を訪
れること。そのため出発前の日本で周到に準
備を重ねてきた。冬の地中海は荒れる海として
知られ、舟はもちろん飛行機も欠航することは
珍しくない。待合室で1時間近く待たされ、よう
やくアナウンスがあったと思ったら回りのギリシ
ャ人たちは大きなため息とともに腰を上げた。
「だめだったのか…」と頭を抱え、ふと気がつく
とみんなゲートに並んでる。「おいおい、あのた
め息はなんだったんだ」と自分も慌てて並ぶ。
思うにあのなんとも言えないため息は、「やっぱ
りだめか」ではなく「やれやれやっとか」に類す
るらしい。ともかくバスに乗って飛行機の所まで
やって来るとなんとプロペラ機!おいおいこんな
んで跳ぶのかよ。と回りの反応を見ると涼しい
顔、当たり前のことなのかな?しかし、このギリ
シャの空を牛耳っているオリンピック航空は、世
界で一番安全だそうで、よくよく理由を聞いてみ
ると”危ない日”は飛ばないんだって、なるほど
かしこ〜い。なんて感心している場合じゃない。
 機内はやっぱり狭く。真中の通路を挟んで左
右に列ずつ。私が隣り合わせたギリシャ人は私
と同年代のビジネスマンで、何やら話しかけて
きた。そして共通語の”英語”で会話が弾むこと
に。なまり英語にかたこと英語、どっちに軍
配?でもこのとき出会ったディモスとはいまでも
友達です。さてさて、前置きが長くなりました。
 タクシーで15分ほど走ってとうとう念願のクノ
ッソス宮殿に到着!4000年前の迷宮は、みご
とに復元されていたのでした。
 今から100年前に、エヴァンスらによって発掘
されるまでは、単なる神話の中の絵空事と思
われていた文明が、その熱意によって発掘さ
れ、ミノア文明と名づけられ、それがヨーロッパ
文明の第一歩になったことは史実が証明してく
れました。
 あいにくシーズンオフで修復しているものも多
くあり残念でしたが、充実感に満ちたひとときで
した。次回も紹介していきます。
 上の写真は王女の西のテラス、左は王の間。

 

−6日目中編−

 クレタ島のシンボルになっているのがこの女
王の間のイルカの壁画、4000年前にこんなに
鮮やかな色彩があったことに驚きです。(これ
は模写で実物はクレタ島の考古学博物館蔵)
よーく見ると魚たちや磯巾着まで描かれていま
す。クレタ島は地中海最大の島にしてその位置
はちょうど中央にあります。エジプトの影響も大
きく、この色彩感覚はその流れかもしれません
ね。とにかく当時としては計り知れないスケー
ルの文明があったことでしょう。
 もうお分かりの通り、ペンションクノッソスでは
このイルカをマスコットにしております。
 この宮殿は「迷宮」とも言われ、古代ギリシャ
神話怪物ミノタウロスとアテネの王子テセウス
の物語でも知られる。
 この宮殿は中庭を挟んで西翼と東翼にわか
れる。大小1300もの部屋があったと伝えられ、
浴室や排水設備の整ったトイレもあったそうだ。
食生活も豊かで、オリーブオイルやワインを詰
めた大甕もたくさん出土している。これらの発見
は、当時の人々の生活文化が高かったことを
伺わせる。
 一通りクノッソス宮殿跡を巡り終えると、バス
でこの島の中心イラクリオンまで出ます。ここま
で来たから考古学博物館を覗いてと思ったたら
場所がわからない。おまけに残された時間が3
時間と迫ってきている。これは得意?の英語で
道を尋ねてとなぜかかわいい女の子に声をか
けた。その子はふむふむとあごに手をやり「ここ
ならー…そこです」ともったいぶってんのかこの
人のキャラなのか、とにかく私たちは博物館の
前に立っていたのです。
 この壁画も有名な”クレタのパリジェンヌ”で、
実物を見ることができます。繊細ないろ使いが
印象に残りました。

 

 

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