『小さなバスケットヒーロー』
アメリカのとある高校を舞台にした感動のスリーポイントシュート
アメリカ、ニューヨーク州。ここで人々の心に刻まれる感動の出来事がありました。舞台になったのはアテネ高校のバスケットコート、今から3年前のことです。
この高校に通うジェイソン・マケルウィン君、愛称「ジェイ・マック」は、2歳の時に「自閉症」と診断されました。自閉症とは生まれつきの障害で、見たり聞いたりすることや感じることが、普通の人と同じようにはいきません。そのため、人と関わることや、自分の気持ちを伝えたり相手の気持ちをくみとることがとても苦手です。ですから友達ができず、いつもひとりぼっちでいました。ところがある日、マック君は生まれて初めて夢中になれるものと出会います。それは、バスケットボールでした。彼はNBA選手、コービー・ブライアントにあこがれ、自分もバスケットボールをやってみたいと思うのでした。
高校に進学したマック君は、念願だったバスケットボール部に入部をはたしたのですが、人とのコミュニケーションが苦手な上、身長も小柄だったので、選手としてではなく、マネージャーとしての入部しか認められませんでした。マネージャーとはチームの雑用係です。来る日も来る日もビブスを洗ったりモップを掛けたり、コーチの用事をすませる毎日でした。マネージャーとしての仕事を終えたあとは、自分の時間です。毎晩一人でシュート練習を繰り返しました。たとえ試合に出られなくても、マック君はバスケットに関わることができるだけで満足でした。そして、試合中は一生懸命に選手たちのバックアップを努め、誰よりも大きな声でチームメイトを応援しました。
迎えた2006年、マック君にとって最後のシーズン、チームは大躍進を続けていました。そして、2月16日のこの日、アテネ高校は最後の試合をホームで迎えました。最終試合は、「シニアナイト」と呼ばれ、これまで試合に出る機会のなかったベンチメンバーも出場する恒例のイベントでした。
最後の試合であることと、全ての選手が出場するとあって、観客が大勢押し寄せ、コートはすごい熱気に包まれていました。しかし、マック君はチームのマネージャーであり、ベンチメンバーではないため、この試合にも出場する予定はありません。さらに、チームはリーグ2位で、この最終試合に勝てば1位のチームと並び、リーグチャンピオンになれる権利が得られる状況でした。そういう大切な試合に、マック君を出場させる機会など与えられるはずはありませんでした。
この重要な試合を前に、ジョンソンコーチは思い悩んでいました。試合の2日前に、コーチはチームのメンバーに、シニアナイトにマック君を出場させたい告ました。この提案にチームメイト全員が賛成しました。優勝がかっている試合でもマック君を出したい、それは選手達も同じ考えだったのです。
チームの気持ちが一つになった最終戦、シニアナイトは始まりました。バンダナをつけたマック君はユニフォーム姿でベンチに座り、出場機会を待っていました。「マックを出場させたい」チームメイトの思いはプレーに表われ、じょじょにリードが広がっていきます。そして、残り時間がわずかになったときでした。コーチが立ち上がり、いよいよマック君への交代が告げられます。その瞬間、観客席は大歓声に包まれ、さらにチームの下級生たちが、一斉にマック君の顔写真のプラカードを取り出し大声援!
コートに立ったマック君に、すぐさまシュートチャンスが訪れました。しかし、惜しくも外してしまう…。その後もチーム全員がマック君にボールを回しますが、緊張のせいかシュートが決まらない…。
それでもみんなは思い続けました。『マックなら必ず決めてくれる』と。
そして、「マック」「マック」の大コールが響きわたる中、ついにその瞬間がやってきました。マック君がスリーポイントエリアから放ったボールは、美しい放物線を描きながら見事にゴールリングに吸い込まれたのです。だがこれは奇跡の始まりにすぎなかった!驚くべきことに、マック君は立て続けにスリーポイントシュートを放ち、その全てを決めていったのです!
最後のスリーポイントシュートと同時に試合が終了。わずか4分の間に6連続でスリーポイントシュートを決めるという、奇跡のプレーは人々の心をがっちりととらえたのです。この試合の得点王になったマック君は、敵味方関係なく祝福されました。
コーチが一番うれしかったことを訪ねると、マック君は自分が試合に出場したことではなく、チームが優勝したことだと答えました。今まで献身的にチームを支えたマネージャーの姿勢を最後まで貫き、そして持っている力をコートで発揮した瞬間でした。そしてまた、病気をはねのけチームと一体になった瞬間でもありました。
「小さなバスケットヒーロー」で検索するとYouTubeの動画サイトが出てきます。ぜひご覧ください。